■CALENDAR■
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
<<前月 2017年04月 次月>>
■NEW ENTRIES■
■RECENT COMMENTS■
■RECENT TRACKBACK■
■ARCHIVES■
■LINK■
■PROFILE■
■POWERED BY■
BLOGN(ぶろぐん)
■OTHER■

陰陽の調和と和合で生成発展 (週刊ひとよし掲載)
 世の中の森羅万象は、天地、山川、男女、表裏、始終、プラスマイナスなど陰陽の二元素から成り立っています。これらはすべて相反する両極のものですが、これが調和し和合することで生産をはじめ生成発展は成就すると古来より考えられて来ました。
 このたびは、国宝青井阿蘇神社の社殿を陰陽の調和と和合という観点からご案内いたします。陰陽の表記ですが、わかりやすく解説するために文中には陽を先としたところもあります。
 先ず、社殿は黒色を基調に彩色されていますが、組物や柱の面取り部分などには赤色が施してあります。黒色は北の方角や水を、赤色は南や火を表します。   
 楼門には人吉様式と名付けられた喜怒哀楽を表す四方軒下の神面がございますが、それぞれが口を開けた阿、閉じた吽の一対からなっています。また弓矢を手に門番をする武官像の随身(ずいしん)とその脇の狛犬も、阿吽です。そして西側蛙股(かえるまた)の彫刻を見ますとそこには鯉が、東側は馬が題材になっています。鯉は水気、馬は午とも表現できますので火気とみて取れ、その数は鯉が六匹の偶数、馬が五匹の奇数で陰陽です。 
 次に拝殿。向かって左側の部屋を神楽殿といいます。正面神鏡の額は、右が太陽、左が月です。天井には中心から八方に向けしめ縄が張られていますが、それぞれが二本づつの縄です。一方は右ないの普通の縄、もう一方は垂(たれ)のある左ないのしめ縄本来の形で、陰陽が絡み合っています。舞台装飾でみると、前方左右に二つの円盤が吊り下げてありますが、これも太陽と月を表します。「三笠(みかさ)」という演目は二人の舞手がこの太陽と月を絡ませ和合させながら舞います。また他に類例がないとされる「大小(だいしょう)」という演目は、その名前自体が陰陽で、衣装の烏帽子(えぼし)には太陽と月の文様が施され、陰と陽を担当する二人の舞手は互いに絡み合い始終激しい動作で舞います。
 次に幣殿。入口の二十四孝物語の題材は、右側に女性が主役の「唐夫人姑に乳を怠らず」、左側に男性が主役の「大瞬孝を感じて天を動かす」です。また正面一番奥の鳳凰の彫刻は雌雄一対、壁に懸けられた神面は阿吽の形相、そして殿内全体には植物と動物の彫刻が施されています。
 次に廊。阿吽の形相をした一対の龍の彫刻があります。向かって右は剣を、左は梵鐘を巻きこんでいます。剣は不動明王がお持ちですので不動を意味します。梵鐘は除夜の鐘を衝き煩悩(ぼんのう)を祓い解脱(げだつ)するといますが、解脱とは束縛から解き放たれ自由になるという意味で、不動と自由の一対です。
 次に本殿。神さまが鎮まる一番大切な社殿です。本殿の扉を御扉(みとびら)といいますが、その表面の左右には真言密教の御紋の一つである輪宝(りんぽう)の金具が設えてあります。この扉を開くと内側には神社の社紋である鷹の羽が描かれ、扉の表裏で仏と神を表します。また屋根部の左右側面にはそれぞれ昇龍と降龍の彫刻が施されそれぞれが陰陽一対です。
 次に社殿基壇の石組み。楼門、廊、本殿はごつごつした山石、拝殿、幣殿は丸っこい川石が使用され、山と川の一対です。
 一連の社殿は材料を吟味し彩色や彫刻を施し贅をつくして完成させられているにもかかわらず、幣殿の一部には意図的と思える未完成の部分が存在します。これは完成させてしまえばあとは朽ち行くのみだからというもので、完成と未完成の表現です。他にも探せばまだまだ出て来るかもしれません。
 神社は、天地森羅万象の恩恵、すなわち神さまの恵みと過去における祖先たちの恩や徳に感謝するとともに、現在の子孫繁栄や五穀豊穣など世の中の生成発展を願い、未来のために調和を図り平和な世の中を持続させて行くための地域の重要な施設です。これまで一千二百年以上毎日欠かさず祈りと感謝の真心が捧げ続けられて来ました。冒頭に記したように、世の中の相反する陰陽を社殿の中に調和させることで永遠の生成発展を願い造営されたのが現在の青井阿蘇神社の社殿なのです。
 特筆すべきは、およそ四百年前にこの五棟一連の社殿群を造営させたのは、相良二十代当主の長毎(ながつね)とその重臣相良清兵衛。完成時の棟札に記された大檀那大梵天王(だいぼんてんのう)と大願主帝釈天王(たいしゃくてんのう)の御名。大梵天王とは人間社会の主宰仏、帝釈天王とは須弥山(しゅみせん)に住み東方を守護し梵天王とともに仏法を守護する仏とされています。時代は戦国乱世から江戸幕府の世へと移行していました。青井阿蘇神社の社殿造営を期とし、二人は長毎を大梵天王、清兵衛を帝釈天王にたとえながら、新しい国造りを目指し歩み始めたのではないでしょうか。
 平成二十四壬辰歳の新春を寿ぎ奉り、皆さま方の更なるご健康とご多幸とともに世の中の生成発展を、陰陽の調和と和合で造営された青井阿蘇神社大前よりお祈り申し上げます。

| - | 02:08 PM | comments (0) | trackback (1) |
新年随想:「飛龍の如く」 (人吉新聞掲載)
 新年早々ではございますが、さて問題です。頭は馬、胴は蛇、うろこは鯉、角は鹿、目は兎、耳は牛、てのひらは虎、つめは鷹、ひげが鯰といえば、それは何でしょう。答えは龍です。ネズミやウシなどと違い十二支を表す生きものとして辰には唯一想像上の生きものがあてられています。
 三千年以上前に中国で成立したとされる易経。儒教の経典の一つに数えられるその思想とは、陰陽二元素の調和と対立から森羅万象の吉凶を占うというもの。陰陽とは、太陽と月、山と川、男と女などの両極。これが調和しないとモノは生産されないという考え方です。
 この教えの一つに、人の一生を龍の生涯にたとえたものがあります。龍の成長段階は、潜龍(せんりゅう)、見龍(けんりゅう)、飛龍(ひりゅう)、亢龍(こうりゅう)と変化します。潜龍は大地や水底深くに潜みじっと動かず力を蓄え、見龍は眼光鋭く目を見開いて世の中の状況を見据え、飛龍はいよいよ世に出て雲を自由に操りながら天地に恵みをもたらし、亢龍は務めを終えて静かにくだり行くというものです。
 本年御造営から三百九十九年となる国宝青井阿蘇神社の社殿に施された一連の龍。楼門天井に描かれているのは潜龍、廊の彫刻が見龍、本殿左右側面の昇龍の彫刻は飛龍、降龍の彫刻が亢龍を表しているのでは。即ち「少年期や学生時代は志高く勉学に勤しみ心身の鍛錬に励み、青年期にはあせることなく先輩の智恵を学ぶとともに行動を観察する。いよいよ壮年期になってそれまで培い蓄えた力を発揮し、悔いのない老年期を迎えなさい。」との先人からの大切な願いやメッセージが込められたのではないでしょうか。
 生まれた年を加えると早くも今年は五回目の年男。これからは天地神明いかなる逆鱗に触れることの無いよう、いよいよ飛龍の如く活動し、躍進して行きたいものです。平成二十四壬辰歳の新春を寿ぎ奉り、皆さま方のご健康とご多幸を青井阿蘇神社大前よりお祈り申し上げます。

| - | 02:05 PM | comments (0) | trackback (0) |
年頭の所感 (神社新報掲載)
 昭和六十三年辰年の奉職から二十数年が経過しました。この間社会構造および神社をとり巻く環境は、インターネット等の普及で情報が容易に得られるようになった一方、都市と地方の二極化による現象は更なる格差と諸問題を増大させました。特に地方の過疎化と経済の疲弊から起こる影響は著しく、継続された歴史は分断の危機に直面し、特色ある伝統文化を急激に衰退させたといえるのではないでしょうか。
 幾世代にも亙り伝承された行動は伝統として、継承された智恵は文化としてつながり、集積され厚みを増すことでそれぞれの地域の個性豊かな歴史が綴られて来ました。
神社はこの歴史や伝統文化を確かなかたちで守り伝え、過去と現在を強力に結ぶところでもあると考え奉仕して参りましたので、これまでに散逸した古文書や歴史資料の蒐集、神社年表の充足、高齢者の行動や智恵を受け継ぐための組織作りなどを手掛けてきました。
 一貫して感じたのは、いかに社会が変化しようとも昔があったから今がある。今を生きるわたしたちはこの営みを分断させることなく神社と地域を守り続け、調和した未来をかたちづくって行かなければならないということです。
 抱負としては、次世代を担う子どもたちの素朴な質問に対しても耳を傾け、平易な言葉と手振りで語りかけるなど今一度神社を中心とした地域のあり方を模索し、教化と啓発に励むことでわが国本来のあるべき姿の構築に務めたいと考えているところです。

| - | 02:02 PM | comments (0) | trackback (0) |
紀元祭斎行挨拶
本日、平成二十三年紀元祭を斎行いたしましたところ、皆さま方におかれましては、お忙しい中御参列賜り厚く御礼申し上げます。
 
さて、本日の紀元祭は、日本国の建国を祝い先人の弛まぬ努力と御苦労に感謝するとともに、今を生きる我々が国を愛する心を養い、国の隆昌と世界の共存共栄を祈る神事でございます。
 
幕末維新における『王政復古の大号令』は、「諸事、神武創業の始めに原づき」と唱えましたが、この神武創業とは、「すべての人びとが一つ屋根の下に大家族のように身を寄せ合い、安心で豊かに暮らせる国をつくろうではないか」というもので、この国の始まりの精神に立ち返り、フワフワと定まらない澱んだ空気を一新し、新時代への開化をいち早く促そうとしたものでございました。
 
戦後、サンフランシスコ講和条約でようやく主権恢復を成し得た時も、先人たちが先ず執り掛かったことは、国の指針を取り戻すべく、紀元節の復活運動だったのでございます。
 
これより会場を移し第四十五回を数えます建国記念の日奉祝人吉会が開催されますが、神武創業の基いとなりました神代からの命題であります「修理固成・この漂える国をつくり固め成せ」との神勅を今一度参加者の皆さま方に再認識いただきますよう宜しくお願い申し上げ、宮司の挨拶といたします。

平成二十三年二月十一日
                         青井阿蘇神社宮司 福川義文
各  位

| - | 08:59 AM | comments (1) | trackback (x) |
職人の自信と誇り 6月26日掲載
職人の自信と誇り
 
 相良氏は、鎌倉時代初期からおよそ七百年間にわたり国替えや改易に遭うことなく、人吉球磨の地を支配しました。もし支配者が交替していたら、現在の街並みや青井阿蘇神社をはじめとする歴史的建造物の意匠は、違ったかたちで伝えられたと思います。
 支配者や藩主の交替は、地域に暮らす人たちにも、大変な影響を与えます。長きにわたる相良氏の一元的な支配は、大工や職人も親から子、子から孫を中心に代々受け継がれ、独自の伝統や文化を醸成し展開していったようです。
 拝殿正面の向拝(こうはい)は造営当時からのものではなく、江戸時代中期に新設されましたが、ここの石張りは、定形のものを用いず、形状異なる大小の切石五十四枚がすき間なく複雑に敷きつめられています。当時、職人は藩からの命(めい)で仕事に携わりますが、藩主の信仰厚い神社の玄関口ですから、藩内一の腕を持つ職人が指名され、もてるすべての技と心を発揮したと思われます。
「神様、殿様いかがですか」
「後に続く職人たちよ、俺の技と心を受け継いでくれ」と願ったに違いありません。
 現在の青井阿蘇神社は、造営から十三回の修理工事の記録が残されています。その時々の大工や職人たちの自信と誇りが、およそ四百年の時を超えた今、栄えある国宝を誕生させ、たくさんの人びとを惹(ひ)きつけてやまないのだと思います。

| - | 05:36 PM | comments (0) | trackback (x) |
PAGE TOP ↑