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松櫻亭 6月12日掲載
松櫻亭

 民謡「球磨の六調子」の冒頭は「球磨で一番青井さんの御門、前は蓮(はす)池桜馬場」です。六月もなかばを過ぎると、青井阿蘇神社の蓮池は、一面青々とした巨大な葉が繁茂し、純白の花をつけ人々を和ませます。
 一六七八年、相良二二代の頼(より)喬(たか)が、「植えてみよ枝葉昌(さかえ)ん花盛り」との霊夢を実現させ、蓮池の周辺に桜の木を植樹します。およそ三十年後、二三代の頼(より)福(とみ)は、立派に育った桜の間に松の木を植え、並木奉行、次(つぎ)木(き)奉行に手厚く保護させ、神前にふさわしい景勝の地をつくり上げました。
 神社西隣に、神社と並び蓮池を仰ぎ見る広大な屋敷があります。ここは、八○六年の創建から、明治維新まで大宮司職を五八代にわたり世襲してきた青井氏の館でした。
石垣上の敷地内には、主屋(おもや)や門、土蔵、物見といった江戸中期から後期にかけての建造物群が状態よく保存されています。江戸後期に「西遊記」を著した橘南谿(なんけい)や、「筑紫日記」を著した高山彦九郎が旅の途中に滞在したことが今に伝えられ、西南戦争時に刻まれた床柱の刀キズも見ることができます。
 青井大宮司家最盛期の石高は、家老職に次ぐものでした。栄枯盛衰の世の流れに、現在青井を名乗る人は住んでいませんが、当時の文献に「松(しょう)櫻亭(おうてい)文庫」と押印されたものが残されています。美しい情景に思いをはせ、この屋敷は松櫻亭と名付けられたのでしょう。

| - | 09:13 AM | comments (0) | trackback (x) |
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