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職人の自信と誇り 6月26日掲載
職人の自信と誇り
 
 相良氏は、鎌倉時代初期からおよそ七百年間にわたり国替えや改易に遭うことなく、人吉球磨の地を支配しました。もし支配者が交替していたら、現在の街並みや青井阿蘇神社をはじめとする歴史的建造物の意匠は、違ったかたちで伝えられたと思います。
 支配者や藩主の交替は、地域に暮らす人たちにも、大変な影響を与えます。長きにわたる相良氏の一元的な支配は、大工や職人も親から子、子から孫を中心に代々受け継がれ、独自の伝統や文化を醸成し展開していったようです。
 拝殿正面の向拝(こうはい)は造営当時からのものではなく、江戸時代中期に新設されましたが、ここの石張りは、定形のものを用いず、形状異なる大小の切石五十四枚がすき間なく複雑に敷きつめられています。当時、職人は藩からの命(めい)で仕事に携わりますが、藩主の信仰厚い神社の玄関口ですから、藩内一の腕を持つ職人が指名され、もてるすべての技と心を発揮したと思われます。
「神様、殿様いかがですか」
「後に続く職人たちよ、俺の技と心を受け継いでくれ」と願ったに違いありません。
 現在の青井阿蘇神社は、造営から十三回の修理工事の記録が残されています。その時々の大工や職人たちの自信と誇りが、およそ四百年の時を超えた今、栄えある国宝を誕生させ、たくさんの人びとを惹(ひ)きつけてやまないのだと思います。

| - | 05:36 PM | comments (0) | trackback (x) |
職人の自信と誇り 6月26日掲載


| - | 05:35 PM | comments (3) | trackback (x) |
神民一体 6月19日掲載
神民一体
 
 県内初の国宝誕生は、人吉球磨の住民や出身者に、郷土に対する新たな誇りと自信を少なからずもたらしたと思います。
 地元の若者でつくる神社奉賛会継承部は、指定日に「祝国宝」、おくんち祭初日には、「おくんち」という火文字を幻想的な竹灯籠で演出し、祝福してくれました。
 この一年間、参拝者や観光客への住民の自発的な取り組みとしては、週末や祝日を中心とした人吉案内人協会の神社ガイド、球磨の六調子保存会の郷土芸能披露、地元町内会女性部のお茶接待等などが挙げられます。個人や企業による境内樹木の剪定や清掃奉仕、各種団体からの由緒板や社号標の建立など、境内もずいぶん整備されてきたところです。
 現在、観光客の受け皿として、六人体制の民間団体「九州さがらヒストリア」が社務所内に事務所を置いて活動しています。国宝の神社を学習の場、体験の場ととらえ、「お宝探険」「歴史衣装体験」「人力車体験」など、ここでしか味わえない歴史と文化のプログラムを展開しているのです。
 参拝者や観光客の増加に、神主や神社職員では手薄となる部分を、民間の協力で補い、神社本来のあるべき姿に少しでも近づけ、充実して行こうという試みです。
 この神(かん)民(みん)一体(いったい)の取り組みが、今後の街づくりの一翼を担い、若者の雇用創出にまでつながればと考えているところです。

| - | 03:43 PM | comments (0) | trackback (732) |
松櫻亭 6月12日掲載
松櫻亭

 民謡「球磨の六調子」の冒頭は「球磨で一番青井さんの御門、前は蓮(はす)池桜馬場」です。六月もなかばを過ぎると、青井阿蘇神社の蓮池は、一面青々とした巨大な葉が繁茂し、純白の花をつけ人々を和ませます。
 一六七八年、相良二二代の頼(より)喬(たか)が、「植えてみよ枝葉昌(さかえ)ん花盛り」との霊夢を実現させ、蓮池の周辺に桜の木を植樹します。およそ三十年後、二三代の頼(より)福(とみ)は、立派に育った桜の間に松の木を植え、並木奉行、次(つぎ)木(き)奉行に手厚く保護させ、神前にふさわしい景勝の地をつくり上げました。
 神社西隣に、神社と並び蓮池を仰ぎ見る広大な屋敷があります。ここは、八○六年の創建から、明治維新まで大宮司職を五八代にわたり世襲してきた青井氏の館でした。
石垣上の敷地内には、主屋(おもや)や門、土蔵、物見といった江戸中期から後期にかけての建造物群が状態よく保存されています。江戸後期に「西遊記」を著した橘南谿(なんけい)や、「筑紫日記」を著した高山彦九郎が旅の途中に滞在したことが今に伝えられ、西南戦争時に刻まれた床柱の刀キズも見ることができます。
 青井大宮司家最盛期の石高は、家老職に次ぐものでした。栄枯盛衰の世の流れに、現在青井を名乗る人は住んでいませんが、当時の文献に「松(しょう)櫻亭(おうてい)文庫」と押印されたものが残されています。美しい情景に思いをはせ、この屋敷は松櫻亭と名付けられたのでしょう。

| - | 09:13 AM | comments (0) | trackback (x) |
つないでゆく 6月5日掲載
つないでゆく 

 人吉球磨地方の神社の例大祭に必ず奉納される球磨神楽は、五百年以上の歴史を誇り、国の無形民俗文化財に選択されています。神職たちが世代を超えて守り抜き、現在は保存会が組織され継承に努めています。
 球磨神楽の演目は、楽(がく)とよばれる太鼓と笛の奏者、および一人ないし四人の舞手で構成されます。私は笛が担当ですが、二十代なかばに基本の曲目を学び、その後は祭りに奉仕する中で、師匠の手さばきを真似(まね)ながら習得に励みました。
 神楽は太鼓の調子を基本とし、笛の音を重ねた楽に、舞手が合わせます。しかし舞手の所作に個人差があること、時間的に簡略化させる時は舞手に楽を合わせることもあるので、録音した楽は使えず、奏者は舞の流れを一通り覚えておくことが条件とされます。古くは三十三番あった演目も、正式に伝えられたのは十七番のみとなりました。
 江戸時代の中期ごろに獅子舞の継承が危ぶまれた時は、青井阿蘇神社で特別な講習会が行われ、その際、一連の動きを図面にした記録が今に伝えられていますが、当時から継承には苦労していたのでしょう。
 現在も後継者不足は深刻で、五年ほど前から週一回、子ども神楽教室を開き、小学生の二人の息子も参加しています。いつの日か、今の時代を確かにつないでゆくとの使命感が、芽生えてくれればと期待しているところです。

| - | 08:55 AM | comments (0) | trackback (608) |
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