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職人の自信と誇り 6月26日掲載


| - | 05:35 PM | comments (3) | trackback (x) |
神民一体 6月19日掲載
神民一体
 
 県内初の国宝誕生は、人吉球磨の住民や出身者に、郷土に対する新たな誇りと自信を少なからずもたらしたと思います。
 地元の若者でつくる神社奉賛会継承部は、指定日に「祝国宝」、おくんち祭初日には、「おくんち」という火文字を幻想的な竹灯籠で演出し、祝福してくれました。
 この一年間、参拝者や観光客への住民の自発的な取り組みとしては、週末や祝日を中心とした人吉案内人協会の神社ガイド、球磨の六調子保存会の郷土芸能披露、地元町内会女性部のお茶接待等などが挙げられます。個人や企業による境内樹木の剪定や清掃奉仕、各種団体からの由緒板や社号標の建立など、境内もずいぶん整備されてきたところです。
 現在、観光客の受け皿として、六人体制の民間団体「九州さがらヒストリア」が社務所内に事務所を置いて活動しています。国宝の神社を学習の場、体験の場ととらえ、「お宝探険」「歴史衣装体験」「人力車体験」など、ここでしか味わえない歴史と文化のプログラムを展開しているのです。
 参拝者や観光客の増加に、神主や神社職員では手薄となる部分を、民間の協力で補い、神社本来のあるべき姿に少しでも近づけ、充実して行こうという試みです。
 この神(かん)民(みん)一体(いったい)の取り組みが、今後の街づくりの一翼を担い、若者の雇用創出にまでつながればと考えているところです。

| - | 03:43 PM | comments (0) | trackback (732) |
松櫻亭 6月12日掲載
松櫻亭

 民謡「球磨の六調子」の冒頭は「球磨で一番青井さんの御門、前は蓮(はす)池桜馬場」です。六月もなかばを過ぎると、青井阿蘇神社の蓮池は、一面青々とした巨大な葉が繁茂し、純白の花をつけ人々を和ませます。
 一六七八年、相良二二代の頼(より)喬(たか)が、「植えてみよ枝葉昌(さかえ)ん花盛り」との霊夢を実現させ、蓮池の周辺に桜の木を植樹します。およそ三十年後、二三代の頼(より)福(とみ)は、立派に育った桜の間に松の木を植え、並木奉行、次(つぎ)木(き)奉行に手厚く保護させ、神前にふさわしい景勝の地をつくり上げました。
 神社西隣に、神社と並び蓮池を仰ぎ見る広大な屋敷があります。ここは、八○六年の創建から、明治維新まで大宮司職を五八代にわたり世襲してきた青井氏の館でした。
石垣上の敷地内には、主屋(おもや)や門、土蔵、物見といった江戸中期から後期にかけての建造物群が状態よく保存されています。江戸後期に「西遊記」を著した橘南谿(なんけい)や、「筑紫日記」を著した高山彦九郎が旅の途中に滞在したことが今に伝えられ、西南戦争時に刻まれた床柱の刀キズも見ることができます。
 青井大宮司家最盛期の石高は、家老職に次ぐものでした。栄枯盛衰の世の流れに、現在青井を名乗る人は住んでいませんが、当時の文献に「松(しょう)櫻亭(おうてい)文庫」と押印されたものが残されています。美しい情景に思いをはせ、この屋敷は松櫻亭と名付けられたのでしょう。

| - | 09:13 AM | comments (0) | trackback (x) |
つないでゆく 6月5日掲載
つないでゆく 

 人吉球磨地方の神社の例大祭に必ず奉納される球磨神楽は、五百年以上の歴史を誇り、国の無形民俗文化財に選択されています。神職たちが世代を超えて守り抜き、現在は保存会が組織され継承に努めています。
 球磨神楽の演目は、楽(がく)とよばれる太鼓と笛の奏者、および一人ないし四人の舞手で構成されます。私は笛が担当ですが、二十代なかばに基本の曲目を学び、その後は祭りに奉仕する中で、師匠の手さばきを真似(まね)ながら習得に励みました。
 神楽は太鼓の調子を基本とし、笛の音を重ねた楽に、舞手が合わせます。しかし舞手の所作に個人差があること、時間的に簡略化させる時は舞手に楽を合わせることもあるので、録音した楽は使えず、奏者は舞の流れを一通り覚えておくことが条件とされます。古くは三十三番あった演目も、正式に伝えられたのは十七番のみとなりました。
 江戸時代の中期ごろに獅子舞の継承が危ぶまれた時は、青井阿蘇神社で特別な講習会が行われ、その際、一連の動きを図面にした記録が今に伝えられていますが、当時から継承には苦労していたのでしょう。
 現在も後継者不足は深刻で、五年ほど前から週一回、子ども神楽教室を開き、小学生の二人の息子も参加しています。いつの日か、今の時代を確かにつないでゆくとの使命感が、芽生えてくれればと期待しているところです。

| - | 08:55 AM | comments (0) | trackback (608) |
「セピア色の宝物」 5月29日掲載
セピア色の宝物
 
 青井阿蘇神社の例大祭「おくんち祭」。昔はどうだったんだろう。―古写真を探しましたが、神社にはほとんど残っていませんでした。
 神幸式の行列が練り歩く沿道筋の家々に尋ねても、球磨川の洪水で被害に遭ったとのこと。神社総代たちに相談すると、七十代の一人が「若いころ、カメラに熱中していたからあるだろう。当時の仲間にも声をかけてみる」と言ってくれ、およそ五十年前の数点が持ち込まれたのでした。
 セピア色の写真には、当時の人たちの笑顔、熱気、懐かしい街並み、初めて目にする光景までもが生き生きと写し出されていました。
 「他にも見たい、発見したい」との思いが強くなり、二○○二年から続けている「祭り写真コンテスト」にセピアの部を設けました。毎回数点の応募ですが、神幸式の様子だけでなく、神楽や奉納スポーツ大会、結婚式の風景など、今では人吉球磨地域以外からの出品もあります。
 入賞作品はお正月に展示し、多くの方にご覧いただいています。「昔はこんな街並みだった。懐かしい」「このおみこしの子ども、うちのお父さんじゃないかな」などの声を耳にします。
 アルバムの中で大切に保管されてきたセピア色に輝く笑顔や、その時々を生きた人たちの思い出は、今では青井阿蘇神社の歴史の一ページを飾るとともに、地域の財産にもなっているのです。

| - | 08:00 AM | comments (0) | trackback (521) |
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