国宝指定
国宝指定を受けたのは、本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門の建造物五棟と、附(つけたり)として造営時の棟札一枚と改築の年代や内容が明記された銘札五枚。現在の社殿群は、慶長15年(1610)から同18年に4ヶ年をかけて造営されたもので、まもなく400年を迎えます。一連の社殿が同時期のものは全国でも珍しいということです。急勾配のかやぶき屋根をはじめ、随所に桃山様式をとり入れた多彩な装飾や色彩、南九州地方にみられる雲龍の彫刻が施されているのが特徴で、拝殿横に神供所を配置するL字状の配置は、球磨地方の社寺建築の規範となっています。
国宝の指定件数は全国で1,075件目。建造物では214件目。神社の指定は37件目で、昭和36年以来47年ぶり。茅葺の社寺建造物では初めて。九州内では22件目中、建造物は6件目で、昭和28年指定の長崎県大浦天主堂以来55年ぶり。神社では大分県宇佐八幡宮本殿に次いで2件目となります。
「国宝の指定基準」
重要文化財の中でも極めて優秀で、かつ文化史的に意義の深いもの
青井阿蘇神社の評価としては、
- 中世球磨地方に展開した独自性の強い意匠を継承しつつ、桃山期の華やかな意匠を機敏に摂取している。
- 完成度も高く、近世球磨地方における社寺造営の手本となっている。
- 彫刻技法や特異な拝殿形式などは、広く南九州地方にその影響が認められる。
(文化庁プレス発表資料より抜粋)
「神社の歴史」
806年 | 阿蘇神社の分霊を勧請して創建 |
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807年 | 尾方権之助大神惟基が初代大宮司となり青井姓に改称 |
1198年 | 相良家初代・長頼が遠江(静岡県)から下向し氏神として祭る |
1472年 | 相良為続が雨ごい祈願で神楽などを奉納 |
1610年 | 相良長毎が本殿、幣殿、廊を造営 |
1611年 | 拝殿を造営 |
1613年 | 楼門を造営 |
1868年 | 社名を青井大明神から青井神社に改称 |
1872年 | 青井阿蘇神社に改称 |
1877年 | 西南戦争に参加した人吉二番隊が戦勝祈願 |
1933年 | 旧国宝保存法に基づき本殿など旧国宝指定 |
1950年 | 文化財保護法に基づき国指定重要文化財に |
1982年 | 球磨神楽が国選択の無形民俗文化財に |
2006年 | 鎮座1200年祭 |
2008年 | 国宝指定 |
当神社は平安時代初期に阿蘇三神を祭神に創健されましたが、相良氏と阿蘇氏は南北朝内乱期や戦国時代には対立関係にあることが多く、そのためか阿蘇神社や阿蘇大宮司家との宗教上の密接な交流を示す資料は残されていません。阿蘇三神を祀るものの青井阿蘇神社自体は中世、近世を通して人吉球磨地方で独自の宗教的展開を図っていたといわれています。
本殿(ほんでん)
御扉(みとびら)は神仏習合の思想を偲ばせる真言密教の法具である「輪宝(りんぽう)」の金具、その背面には金箔地に社紋の「並び鷹の羽(ならびたかのは)」が描かれ、御扉両脇の亀甲文様をした蔀戸(しとみと)は、各部ごとに花弁(はなびら)が描かれていた痕跡があります。
また両側面の妻(つま)の部分には昇龍や降龍、瑞雲(ずいうん)や藤の彫刻が一面に施され豪華な造りとなっています。
側面、背面全体にみられる×型の桟(さん)、緑や赤で塗られた格狭間(こうざま)とよばれる文様の位置に人吉球磨の社寺建造物の特徴がうかがえます。
廊(ろう)
右左両柱には「あ・うん」の形相をした一対の龍の彫刻があり、向って右が剣を、左が梵鐘を巻き込んでいますが、このような形式は南九州の近世社寺建造物に影響を与えたとされています。
幣殿(へいでん)
本殿から向かって縦長に配置され、内部は四季折々の花鳥風月、外部は動植物の華麗な彫刻や餝(かざり)金具の装飾で彩られています。 柱を超えてつながる画題の彫刻や露(つゆ)を表現した 餝金具の手法は、当時の最先端技法をいち早く取り入れたとされています。
【内部見学可能】
拝殿(はいでん)
建造物の内部が拝殿・神楽殿(かぐらでん)・神供所(じんくしょ)の三部屋に仕切られているのが最大の特徴です。 神楽殿には天体にたとえたヤツジメとよばれるこの地方独特な舞台装飾が施され、10月8日の夕刻には国の無形民俗文化財に選択されている球磨神楽(くまかぐら)が演じられます。
【内部見学可能】
楼門(ろうもん)
高さ12メートルにおよぶ禅宗(ぜんしゅう)様式と桃山(ももやま)様式が華麗に調和した建造物です。 上層軒先の四隅にはめ込まれた陰陽一対の鬼面は人吉様式とよばれ、全国に類例がないとされています。
欄間の彫刻は、二十四孝物語(にじゅうしこうものがたり)をはじめ大陸の影響をうけたものが施され、天井には経年により彩色の剥落がみられますが、二体の龍が描かれています。