太古においてこの土地を拓き農業を営むようになった人々は、共同作業の中から集団生活をするようになり、天の恵み・地の恵み・人のお蔭様に感謝する場所として、拓いた土地の最も美しく荘厳な場所に神社を建てました。そして、五穀豊穣、子孫繁栄などを祈願し、氏神様にお守りいただく祈りとお礼の場として地域の人々(氏子)によって祭りが営まれてきたのです。
青井阿蘇神社では、おくんち祭、夏越祭、稲荷神社の初午という三つの大きな祭が四季を通じて行われています。
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おくんち祭
九月九日は青井阿蘇神社の誕生日
古来より誠にめでたいとされてきた陽の最高の数が重なる重陽の日に神様が御鎮座された縁日をお祝いする、ゆうなれば神社の誕生日のお祭で、明治の暦の改正で現在は10月9日の神幸式を中心に3日から11日までの日程で行われています。
大祭期間中に火災の禍がないように祈願する3日の鎮火祭や、国選択の民俗無形文化財である8日の球磨神楽の奉納はこの地域独特のもので、長い歴史の中に育まれてきた伝統文化やしきたりが大切に今に息づいています。
「チリン、チリン」神幸の列はチリン旗の音色から
神幸式はチリン、チリンと澄んだ音色をさせるチリン旗を先頭に、獅子、御神宝、神輿などの行列が市内を練り歩くにぎやかな祭りですが、昔は祭りの日に一般民衆の境内立ち入りが許されず蓮池の周りだけを巡幸する静かな神事だったといいます。
今のようなスタイルになったのは大正から昭和にかけてで、市街地の繁栄を重要視した人吉の人々の要望が背景にありました。神社総代や、お世話役たちの目論見通り、行列の道中は動きもとれないほどの参拝者が押し寄せ、お旅所ではサーカス、見せ物小屋が立ち並びたいへんな賑わいであったといわれています。
古来と変らず今も受け継がれているもの
おくんちに供される「赤飯、煮しめ、つぼん汁(しゅる)」という家庭で作られる定番の料理と、無病息災を願い、子供の頭を獅子に噛んでもらうという風習は古来と変わらず今も受け継がれています。
このように何時の世でも変わらないもの、変えてはならないものがある一方で、時代とともに変遷を繰り返してきたおくんち祭りも平成18年には1200回を迎えます。
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夏越祭
600年の間、守られ続けた伝統神事
当神社の夏越祭は、鎌倉時代の至徳3年(1386年)相良7代藩主前頼(さきより)の時代に始まり、一時中断しましたが、室町時代の天文2年(1533年)16代藩主義滋(よししげ)により再興され、現在まで600年以上連綿と続く伝統的神事です。
また、多忙な日常生活で知らず知らずに身についた罪・穢れを人形(ひとかた)に封じ込め、祓い清める特殊なお祓いの神事でもあります。
森羅万象五行の作用
世の中の森羅万象は、木・火・土・金・水の五行と呼ばれる五元素の輪廻、作用から成り立つといわれ、それぞれに相生作用、相剋作用があります。
この五行は季節の循環にも当てはめられ、春は木・夏は火・秋は金・冬は水・各季節の中間となる土用は土となります。
これを五行の作用に当てはめると春から夏・秋から冬・冬から春への移行は相生作用になりますが、夏から秋への移行だけが火剋金となり負の作用になってしまいます。
これにより、夏から秋への季節の交代をスムーズに行わせ、難を避けるために、『夏を越す祭り』と称するようになりました。
茅の輪くぐりの起源
夏越祭の古記録によると、「三尋三尺の青竹を輪にして青藺で包み苧で巻き三十三節を結び、その一つ一つに御幣を取り付け壇上に立て置く。これに供物をお供えし夏越祭りの誦文を唱える。その後太守がこの輪を七回くぐることにより悪事災難をのがれることができ、善きことが来るようになる。これが七福成就子孫繁栄の因縁であり、6月の晦日か小の月は29日に行う」とされています。
茅の輪の起源については、備後国風土記に素盞鳴命(すさのおのみこと)から茅の輪を授かった蘇民将来(そみんしょうらい)という善人が、村を襲った疫病から免れることができたことに由来していますが、五行信仰と茅の輪の神事が習合したのが現在の夏越祭の形態になったと考えられます。
人形(ひとがた)に罪や穢れをうつし難を祓う
現在の祭の形態は、幣殿において人形(ひとがた)に罪・穢れをうつすお祓いの神事を行い、庭上に設けられた茅の輪を左・右・左に3回くぐります。
神職に続き、参拝者は順にこれを行い、また、参列できない人々はあらかじめ住所・氏名・年齢・性別を人形に書いて神社に納めます。人形は唐櫃に納められ茅の輪くぐりを行い、最後には茅の輪に無数に取り付けられた御幣を競って取り合い家に持ち帰り、神棚や玄関に飾り災難除けのお守りとします。
また、納められた人形は神職が大祓詞を奏上する中、球磨川祓川の瀬(はらいごうのせ)で、形代(かたしろ)流しの神事が執り行われます。
大祓形代お祓いのご案内
申込書にあります大祓形代の人形には、ご家族様それぞれの住所・氏名・年齢・性別をお書きの上、祓え給え清め給え(はらえたまえきよめたまえ)と唱えながら、身体各所を撫で深く3度息を吹きかけます。車形(くるまがた)には、車のナンバー・所有者名をお書きになり、人形車形とも封筒に納め、初穂料を添えて当神社にお届け下さい。遠方の方は、郵送にてお納め下さい。初穂料に応じ、後日特別奉製のお守りを授与送付いたします。
なお、詳しい説明をお聞きになりたい方は社務所にご一報下さい。
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稲荷神社 初午
稲荷神社の初午の祭り
農耕を司る宇迦霊神(うかのみたまのかみ)を祀った稲荷神社の初午は、旧暦2月の初午日に盛大に斎行されます。これは稲荷神社の本社であります京都伏見稲荷大社の神様が、和銅4年(711年)の2月の初午日の午の刻(正午頃)に天下られたことに由来し、全国各地の稲荷神社でも同様の初午の祭が行われます。
もともと「稲荷」は「稲成」の意味があり、稲が立派に成育することを意味し、五穀(食物)をつかさどる農業の神として厚い信仰が寄せられ五穀豊穣や福徳を祈願するものでしたが、江戸時代頃からは商工業が発達するに従い、稲荷の神様は衣食住を司り諸産業の神としての性格が強くなり、商家や町家のいたるところに祀られるようになったようです。
稲荷神社の鎮座由来
ご鎮座は宝歴9年(1759年)相良第27代頼央(よりひさ)の時代。
当時の人吉は度重なる災害や藩主の交代で経済的にも疲弊しており、豊饒と藩内安泰を願い祈り勧請創建されました。